この数年、どんどん私の周りから本屋が消えています。本屋の減少は、近頃では全国区のニュースになっていますが、本当に実感です。
この5月には、ついに最寄り駅前の本屋もなくなりました。
……私50代、はじめて自宅の徒歩圏内に本屋がなくなったわけですね。
そして、一つ隣の大きな駅にも、昔は駅前に4~5軒あった本屋がどんどん無くなっていき、この秋にはついに1軒になるようです。大きな書店がなくなって、残った1軒は小さいチェーン店。ちょっと、本を探したい時には向かないレベル(雑誌や新刊を買いに行くにはいいけどさ)。
でも、今度閉店する大型書店に関して言えば、閉店の兆しは随分前から感じていました。
本棚の表示と並んでいる本の内容がバラバラなんですから。
棚を見ても、まったく本を探せない。
そして、はっきり言って、店員の質の低下。
厳しい話ですが、言わずにはいられない。だって、聞く気にならないんですもの。どこのどの本があって、どんな作家、どんな出版社があるか、分かっていない人が多すぎ。すぐにコンピュータに走って、調べなければならない。。。
どうせ、取り次ぎさん(出版社と書店をつなぐ流通業者)が出している新刊情報の冊子をチラ見しているだけでしょ!と言いたくなる。
書店は、面積が広くて、本が多いのがいいというわけではありません。「内容」です。工夫がない、ということなのです。
どこの本屋も同じ。面積によって、新刊の数が5冊か10冊かの違いはあっても、新刊の種類はすべて同数。
昔は、地元の小さな本屋なんて、店主が本に熟知し、客を読み、小さな面積にもかかわらず、ここに買いに行こうと思わせるラインナップが書棚に並んでいたものです。なんで、こんなに小さい本屋なのに、こんなマニアな本があるんだろう・・・とかね。実際、筆者が昔、毎日のように通っていた会社の近くの書店などは、馴染み客の顔を覚えていて、入った瞬間、挨拶とともに「○○の新刊が入ったよ、買うんでしょ?」なんて言われて、うれしかったものです。もう、ここで買うしかないですよね。非常に小さな本屋でしたから、新刊と言えどもたくさんは店頭に出していないんです。だけど、聞けば奥からどんどん出てくる。。。
でも、最近の本屋は、そんな個性はない。大きな書店は確かに数はそろっているけど、同じような本がたくさんあるだけだったりもする。
そんな中で、この春に閉店した、地元駅前の本屋は、チェーン店だったけど、ちょっと個性が見えていたなー。店長さんが頑張っていたのかなぁ~。平積みの本に意志が見えていて、ちょっと好きだった。
(まぁ、私の場合、いついかなるときも、本屋は大好きだけど。旅先でも、かならず本屋には行くし)
古い映画にですけど、『ノッティングヒルの恋人』というのがありましたね。ロンドンで旅行書専門の書店を営む男(ヒュー・グラント)と、そこを訪れた女(ジュリア・ロバーツ)のラブストーリー。映画も良かったですけど、それ以上に印象に残ったのは、舞台となった本屋。日本では、絵本や美術書の専門店が多少あるぐらいで、基本的には、主義主張が全面に出た書店なんかありません。旅行書専門店ですよ! ロンドンに行ったら、ぜひ行きたいと思いつつ、いまだ実現せず……。
……それはともかく。
Amazonの台頭もあって、本は「取り次ぎ」の流通を通して買われる時代から、出版社からネットを通して買われていく時代になりました。まして、電子版に至っては、直販です。ちなみに、アメリカには「取り次ぎ」はありません。
本を愛する人間として、書店には生き残って欲しい。
本は手に取ってこそ、ステキな出会いがあると確信しています。
だから!書店さん、頑張ってください。取り次ぎが決めるのではなく、書店が本を選び、提供する時代にもう一度戻って欲しいと思います。世はビッグデータ時代だというのに、なんで本屋は金太郎飴のようになってしまったんでしょうね。
これ以上、本屋がなくならないように(行政が支援するようになったら、その文化は終わりです!)。
ぐずぐず、だらだらと、口うるさい話で恐縮です。
……どうしても、書きたかった。聞き流してください。
筆者拝